(ジェノサイド)東ティモールとインドネシアのあいだで何がおきたの?

2021年5月8日

今日の注目

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今日は東ティモールインドネシアのあいだでおきたジェノサイドの歴史についてです。

3分で読める本記事の構成は以下の通りです。

東ティモール独立までの歴史

ポルトガルが植民地支配をしていた東南アジアの一つの島に、オランダが侵入していき、島の東側半分をポルトガルが支配するようになります。

第二次世界大戦の間には日本に占領されていたのですが、1975年までポルトガルの支配が続きました。

東ティモールインドネシアの紛争

島の西側はインドネシアの領土であったのですが、1975年にポルトガルの勢力が島の東側から撤退すると、インドネシア軍が西から東へとすぐに攻め込んできたんです。

島の東側に住んでいる人たちは "このままではインドネシアの一部になってしまう" と思い、Democratic Republic of East Timor という独立国家として名乗りを上げます。

このインドネシアの侵攻とそれに対抗する東ティモールの人たちのあいだで紛争になったのですが、インドネシア軍が市民を中心にジェノサイドをおこなったため、国際社会から批判を受けました。

当時のインドネシアの独裁者が1998年に権力から退くと、東ティモールはもう一度独立を宣言するのですが、インドネシアの軍事勢力がまた攻撃に出たんです。

これには国連の平和維持活動も介入に入り、国連の支援の下、ポルトガルインドネシアは "東ティモールの人たちに今後の国の方針をゆだねること"で合意します。

1999年に東ティモールで選挙が行われ、投票率は99%だったと言われています。

そのうち78%が独立に賛成だったのですが、東ティモールの国としての独立に反対する勢力がインドネシア軍の支援をうけて攻撃に出たんですね。この時多くの東ティモールの人が島の西側へと逃げていきました。

この事態をうけてオーストラリアを主導にした平和維持軍が介入していきます。これにより、インドネシア東ティモールの選挙結果を認めることに合意したんですね。

東ティモールインドネシアの紛争後

国連による代理政府が東ティモールに設立され、東ティモールの復興に励んでいきます。

2001年には東ティモールの独立政府を設立するための民主選挙が行われ、大統領が選ばれるんですね。

国連や各国も東ティモールの支援を進め、2002年には東ティモールは 191番目の国連加盟国になります。(ちなみに 192番目はモンテネグロ、一番新しい 193番目は南スーダンです。)

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経済的なつながり、各国や国連からの支援を経て、東ティモールは独立国家として国家を安定させていったのです。

参考

History, BBC News, United Nations