2021年2月12日
今日の注目
今日はアジアの国、日本ってどんな歴史があるの?についてです!
3分で読める本記事の構成は以下の通りです。
大枠
200年にわたる自主的な鎖国が1853年に終わり、将軍による軍事統治も終わります。the empire of Japan として生まれ変わった日本は工業化とアジア諸国との貿易を急速に発展させていくんですね。
1929年に世界的な不況がおこると、自国優先主義とともに海外の影響を拒む動きが日本国内で広まり、これがアジア諸国への軍事侵略やナチスドイツとの同盟につながっていきます。
第二次世界大戦で日本が負けると、新しい憲法が施行され、自由民主党が1955年に発足されました。
日本は1972年に中国との関係を正常化すると、台湾にある日本大使館を閉めます。
しかし、2011年から自主的な武器輸出の制限を緩和し、2017年には中東の Djibouti(ジプチ) という国で軍事基地を拡大し、拡大する中国の勢力をけん制しています。
日本経済
日本の戦後1950年から1980年の経済成長は、主に重工業への投資に基づく政策と貿易における供給の多さによるものといわれています。
この投資には多額の資金が必要とされるため、三菱や三井などの財閥が形成され、新規参入が厳しい業界になったんですね。
経済成長が続く中、賃金の上昇や公共支援は最低限に抑えられ、インフラ整備への投資に重点が置かれました。
西洋諸国は自由な市場経済、柔軟な雇用形態、高い軍事費を行ってきたのに対し、日本は政府がけん引する産業政策、終身雇用、低い軍事予算などユニークなシステムをとってきたわけです。
経済成長で貿易における供給が多くなると、円高になります。
円安の方が輸出を多くすることができるので、日本は "高くなった日本円を輸出する" ことや不動産投資を行うことで対処します。
1987年には日本銀行は利子を安くして、民間でも不動産投資などをしやすい環境を作ろうとします。こうして土地や家の価格が上がっていったのですが、1990年になると、日本銀行が利子を大幅に上げたことで、バブル好景気になりました。
日本銀行はこれまで、国債(投資としての借金)の多くを買い続けることで、銀行の利子を低く保ったり、増税を予防するなどの不景気時によく使われる政策をとってきたんですね。
1997年になるとバブルが崩壊します。この原因としては円高への対応の悪さ、市場への政府の過剰な関与などが挙げられています。
貿易の供給過多による物価安を改善するために、日本は 1985年から輸出品を値上げして安く輸入しようという政策をとったのですが、この政策に関しては、原料を安く輸入して、日本で製造し、輸出品の値段を抑えるべきであったと言われています。
参考