2021年5月11日
今日の注目
今日はアジアの国、ラオスってどんな歴史があるの?についてです!
3分で読める本記事の構成は以下の通りです。
ラオス独立まで
フランスの植民地支配を受けていたラオスでは、第二次世界大戦の際の日本による支配を経て、戦後再びフランスによる支配がはじまります。
独立後
1954年に独立を果たしたラオスは、憲法に基づく君主制を始めます。皇族が国にいる制度ですね。
でも、すぐに "皇族に忠誠的な勢力" と "the Pathet Lao という名の共産主義勢力" のあいだで内戦がおきます。
1960年代になると、ベトナム戦争下のアメリカによる攻撃がラオスにも飛び火していき、大規模な被害を受けたんですね。アメリカものちに賠償金を支払うなどの対応をとっています。
globalissues.hatenadiary.com1973年になるとラオスでは内戦の終結が迎えられ、両勢力で国を二分割することが決められました。
でも、the Lao People's Front に名前を変えた共産主義勢力は国の権力を牛耳り、当時の国王を辞めさせて逮捕するんですね。
これにより、The Lao People's Democratic Republic という共産主義に基づいた民主共和国が建国されました。
the Lao People's Revolutionary Party (LPRP) という政権による一党制が始まったんですね。
経済難
1970年代、社会主義の経済を行う中で食糧不足などをかかえて、ラオスの経済は安定しなかったんですね。
この時期に多くのラオスの人が難民として隣国タイに逃げ込んでいったため、資本主義的な経済システムを取り入れるために、ラオス政府は農業の民営化を認めたりして対応します。
1980年代になると、同じく共産主義のソ連でも社会主義経済の見直しが行われ、市場経済が導入されていきます。
1989年にラオスで独立後初めての選挙が行われたのですが、一党制を行っていた the Lao People's Revolutionary Party (LPRP) 政党から許可を得ないと立候補できなかったんですね。
政治体制は、共産主義を徹底的に維持していたわけです。
そんなかラオスは ASEAN に加入するなど、隣国タイやアジア諸国との関係も強めていきます。
国の安定を目指して
国連などの国際機関からも経済支援が行われ、経済の安定化と栄養失調などの貧困問題解決を目指します。
経済政策の一つとして、外国へ輸出するための電力創出を目的としたダムの建設があるですが、これは環境への影響が懸念されていたんですね。
2000年代になっても、ラオスの首都で爆破事件がたびたび起きたり、ラオス国内の the Hmong 民族が共産主義政権に反発するなど、権力分散の動きやさらなるダムの建設、市場経済の促進が行われていきます。
こうして現在もラオスは、共産主義の政治体制は維持したまま、経済の発展に励んでいるんですね。
参考
BBC News