Ko Tanaka 国連事務総長を目指す男ブログ

紛争解決のための勉強メモ

(ジェノサイド)マヤ文明の裏側、グアテマラでおきた問題とは?

2021年5月7日

今日の注目

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今日は中米の Guatemala(グアテマラ) でおきた虐殺の歴史についてです。

3分で読める本記事の構成は以下の通りです。

グアテマラの歴史

マヤ文明の遺跡があることで知られるグアテマラですが、マヤの人たちに対する負の歴史も多くあり、スペインが植民地支配を始めた時には、現地民であるマヤの人たちは奴隷として労働させられました。

1944年に当時のグアテマラの大統領が社会の不平等を降らすために国政の改革を行い、農家に土地を再分配したりしたのですが、この民主的な政策は 1954年に軍部によって止められてしまいます。

グアテマラの内戦と虐殺

1960年代になると社会の不平等への不満から、グアテマラで内戦が起きます。

対等な扱いを受けていなかったマヤの人たちも政府に対する抗議活動を始め、マヤの言語や文化への尊重と平等な対応を求めたんですね。

これに対してグアテマラの軍部は過激な暴力で制圧にかかり、反政府の勢力の中でもとくにマヤの人たちに対しては厳しく、1982年に民族虐殺をおこないました。

1996年までの 36 年間内戦は続き、the Oslo Accords とよばれる平和条約によって終わりをむかえたんですね。

内戦後

2006年から the CICIG とよばれる国連の平和構築活動が始まり、軍事勢力の特定などがグアテマラ政府との共同で進められました。

それでも、グアテマラ国内では犯罪や人権侵害などの治安の悪い状況が続くんですね。

一方、アメリカは貿易や支援を通じてグアテマラを支援していき、そんなこともあって2018年にはグアテマラ大使館をイスラエルのエルサレムに移した2番目の国になりました。

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2020年にもグアテマラでは抗議活動で政府との衝突が起きるなど、不安定な情勢が続いています。

 

参考

Holocaust museum Houston, BBC News