2021年5月2日
今日の注目
今日はベトナムについてです!
3分で読める本記事の構成は以下の通りです。
ベトナム戦争が始まるまでの経緯
ベトナムはもともとフランスの植民地支配を受けていて、第二次世界大戦中はナチスドイツや日本に占領されていました。
そんななか、共産主義のソ連に影響をうけた Ho Chi Minh という人は、ベトナムで共産主義政党をつくり、フランスや日本の影響力を排除しようと動き始めます。
第二次世界大戦が終わると海外諸国も植民地支配を継続する余力がなくなったため、ベトナムは独立国家となります。
でもフランスはベトナムでの影響力を維持しようとしていたため、Ho Chi Minh という人はベトナムの北側地域でさらに独立することを宣言します。
冷戦
この頃アメリカは、世界の国々に共産主義が波及することを恐れていて、”共産主義に脅かされそうな国はアメリカが支援する” と宣言しています。(the Truman Doctrine といいます。)
1949年にカザフスタンでソ連の原子爆弾が爆発したり、中国の Mao Zedong が共産主義に基づく中華人民共和国を建国したりと、世界で緊張感が強まっていたんですね。
ベトナム戦争勃発
1950年になると、中国とソ連は Ho Chi Minh という人が独立を宣言した北ベトナムを国家として認め、共産主義を応援するために経済支援や軍事支援を行います。
この支援をうけて、Ho Chi Minh という人は国内のフランスの影響力を徹底的に排除しようとするわけです。
でも、アメリカは共産主義を掲げる北ベトナムを警戒していたため、フランスを支援し始めるんですね。
結果は共産主義勢力の勝ちで、1954年にフランス軍はベトナムから撤退することになり、ベトナムも北ベトナムと南ベトナムの二つに分けられることが正式に決まるんですね。(The Geneva Accords といいます。)
Ho Chi Minh という人が率いる共産主義の北ベトナム
と
が生まれたのですが、共産主義の北ベトナムが南へ勢力を拡大していったんですね。
"北と南の争い" は "共産主義勢力とアメリカの争い" と重なり合って、ベトナム戦争は泥沼化していきます。
1970年になると停戦に向けた交渉が行われるようになり、1973年にベトナム戦争の停戦とアメリカ軍の撤退が約束されるのですが、1975年に北ベトナムが南ベトナムに再び侵攻するんですね。
北ベトナムはベトナム全土の勢力を手に入れ、現在の社会主義国家ベトナムが建国されるのです。この時、多くのベトナム人が外国へと逃げていったんですね。
ベトナム戦争のあと
1979年になるとベトナムはカンボジアの共産主義勢力へと影響力を拡大するのですが、この時、同じく勢力を拡大したい中国とベトナムのあいだでも紛争が起こります。
1986年からベトナムでも、より資本主義的な経済システムが取り入れられ、共産主義の政治を維持したまま経済の自由を広げるような憲法に改正されていきます。
30年続いた中国との国境紛争も2008年には終わり、中国の政策に似た "ふたりっ子政策" を人口抑制のために施行したりしています。
ベトナムは現在も共産主義の政治を行っているため、民主主義を掲げる政治活動家の逮捕やインターネットの規制があるのですが、アメリカとの外交や武器貿易を再開したり、ASEAN への加入など国際社会とのつながり強化にも励んでいるんですね。
参考