2021年4月17日
今日の注目
今日は民主主義は終わり?SNS が変えた政治のあり方についてです!
”官僚政治は信用ならん ! ” とか ”民主主義が一番大事 ! ” という民主化の動きが、じつは安定した民主政治を拒んでいるのではないかというアメリカの記事をシェアします。
3分で読める本記事の構成は以下の通りです。
世界の民主化の流れ
第二次世界大戦後から2000年くらいまでが民主主義の全盛期と捉えられていて、この期間には世界的に民主国家の数が増えました。でも、2000年を超えてから徐々にこの傾向が変わってくるんですね。
自国優先の風潮(populism) が世界的に強まっていきます。
民主主義って大変
”投票に行こう!” と言われているように、民主主義を実現するためには国民の参加が大事になってきます。
つまり、国民は大量に報道される情報を処理して考えたり、反対意見や色々な "違い" を尊重したりといった、じつは難しいタスクを託されているわけです。
でも、人間はそもそも論理よりも感情で物事を判断しがちで、今でも人種差別とかが無意識レベルでも起きています。
しかも、そういった自分の中に潜む感情を正当化してくれる情報を無意識的に選んでいたりすることもあり、逆に自分の感情や固定概念と逆方向にある情報は脳内の "よく分からないファイル" に放置されるわけです。
なので、こういった人間の特性と民主主義の構造はミスマッチであるという意見もあるんですね。
政治家はなんでいるの?
官僚などの政治家たちは本来、感情に基づく人間の判断ミスを最小限に抑えて、国全体を守るために選ばれた人たちだったんですね。
でも、時代が民主主義を全面に押し出していくようになると、政治家たちは国民の投票を集めることが大事になっていきます。
国民の感情(需要)に従って、それをリードしていく仕事がメインになってきたわけですね。
これは弱者に寄り添うことだったり、国民の意見を反映するといった面では良いことですが、そういった国民の感情が "一時的な自分たちに都合の良いもの" だったら、本来政治家が果たすことになっていた "感情より論理に基づいて国全体を守る" という役割を果たしているかといったら疑問になるわけです。
政治家が国民の需要ばかり意識しだしたら、それはそれで国民の政治に対する不信感も強まっていきます。
民主化は終わり?
感情は強いので、同じ感情を持った国民が団結していけば、当然反対意見を持つ人と対立します。
この時どれだけの人が反対意見を受け入れて、国全体のための判断をできるでしょうか?
当然色々な知識や論理だった説明をしなければ、反対意見をもつ人たちと良い議論などできません。
自分の意見を主張するだけで相手の話を全然聞いてなかったり、互いの話を割り込みあっているような光景は議論ではないし、エゴのためのかっこ悪い時間です。
みんなの意見を反映するために民主的なやり方を目指していたのに、いつのまにか自分たちの感情や正義に基づくコミュニティを守りぬくことが目的になってしまうことも多々あります。
自分たちの正義を守り抜いてくれるリーダーを支持することに精一杯になってしまえば、もはや民主主義はあまり重要ではなくなってしまい、逆に優秀なリーダーについていく方が都合が良くなってくるはずです。
SNS が変えた政治のあり方
SNS やインターネットが広まったおかげで、誰でも自分の感情を発信できますし、誰かの感情発信に感化されることがいつでもどこでも起こりえます。
国民の感情に基づいた "需要" にこたえてくれる政治家に投票することが、必ずしも国民の未来を幸せにしてくれるわけではないのです。
民主主義の良いところは、権力を一つに集めない仕組みをつくることでそれぞれの機関どうしが互いに監視しあい、間違った判断を指摘できるようにすることです。
反対意見は自分の感情の暴走を監視してくれる存在だと認め、妥協や多様性に寛容になれることが民主主義の本質なわけで、民主政治を成しえるには国民にもこれが求められるのです。
民主政治を徹底するには、”発信した自分の感情が認めてもらえて脳内がアドレナリンで満たされた段階で、自分の意見を振り返ることができる” という非常に難しいタスクが、国政の仕組みだけでなく国民にも託されているんですね。
自分の感情を正当化してくれるコミュニティについて行った方が、民主主義に求められる寛容力や論理的思考力を鍛えるより全然簡単なので、仮想敵をつくって国民を煽るという手法はこれまで何回も色々なところで起きてきています。
需要や感情に合わせる安易な道を選んでいった結果、民主政治の崩壊が懸念されているわけです。
参考
Político Magazine